国立療養所「菊池恵楓園(けいふうえん)」(現熊本県合志市)にあった隔離の壁に開けられた穴。強制的に収容されたハンセン病の元患者たちが外部をうかがい知るために開けたとされる。ハンセン病の特効薬プロミンは1942年に米国で開発されていたにもかかわらず当時の厚生省は49年、全国のの知事に、ハンセン病患者の隔離の強化を指示する通知を出した。恵楓園は51年に千床を増床。強制隔離が強化され、ハンセン病に対する恐怖が増幅され、根強い偏見が生まれた。菊池恵楓園では園内の拘置所を脱走したF氏が熊本県北部の村の元職員を殺害したとして楓園内の特別法廷で死刑判決を受け62年9月、第3次再審請求棄却の翌日、死刑が執行された。2016年4月、最高裁は、正当な裁判を受ける権利を奪った特別法廷の誤りを認めて謝罪。判決で単独犯行とされたにもかかわらず犯行に使われた刃物の種類は10種類以上と数々の疑念が残る。遺族や市民による再審請求が続けられている。
